「ほれこみ」を超えて
― 対人支援における“慈愛”という視点 ―

対人支援の世界では、ときどき不思議な現象が起こります。
「この人はすごい」
「この先生なら自分を変えてくれる」
「このクライエントには特別な可能性がある」
そんな強い感情が、支援関係の中で生まれることがあります。
心理学や精神分析の世界では、こうした状態を「ほれこみ」と呼ぶことがあります。もちろん、ここでいう「ほれこみ」は単なる恋愛感情だけを意味しません。
むしろ、
- 相手を理想化する
- 相手に特別な価値を感じる
- 相手の中に“救い”や“理想”を見出す
- 相手に強く惹きつけられる
という、広い意味での心理的現象です。
フロイトが見た「ほれこみ」
精神分析の創始者であるフロイトは、「ほれこみ」を非常に重要な現象として研究しました。
彼は、人が「ほれこむ」とき、
相手が“自分の理想”の代わりになる
と考えました。つまり、人は相手そのものを見ているだけではないのです。
「こうありたい」
「こうなりたい」
「こういう存在に救われたい」
という、自分自身の願いや理想を相手に重ねているのです。そのため、ほれこみの状態では、相手が実際以上に素晴らしく見えたり、冷静な判断が難しくなったりします。
小此木啓吾が注目したこと
日本の精神分析家・小此木啓吾は、この「ほれこみ」を単なる恋愛心理ではなく、
“自己愛”が他者へ移動する現象
として説明しました。これは非常に興味深い視点です。私たちは、本来、
「価値ある存在でありたい」
「認められたい」
「意味ある人間でありたい」
という自己愛を持っています。しかし、それを自分自身で支えきれないとき、人はその理想を他者に預けます。すると、
「あの人こそ特別だ」
「あの人に認められたい」
「あの人の期待に応えたい」
という形で、強い“ほれこみ”が生まれるのです。
実は、対人支援の現場でも起こっている
これは恋愛だけの話ではありません。カウンセリング、コーチング、教育、スーパーヴィジョンなど、対人支援の現場でも頻繁に起こります。
例えば、スーパービジョンにおいて、スーパーワイザーが特定の相談者に強く「ほれこむ」ことがあります。
「ほれ込み」にはまったスーパーヴァイザーに起こること
最初は、スーパーヴァイザーが相談者やスーパーヴァイジー(スーパーヴィジョンを受ける人)にほれこむことは悪いことではありません。
「この人には可能性がある」「ぜひ成長してほしい」という思い自体は、支援のエネルギーになるからです。しかし、そこに過剰に留まってしまうと問題が起こります。
例えば、こんなことが起き始めます。
- 相談者を理想化する
- 厳しいフィードバックができなくなる
- 現実的な課題を見落とす
- 「この人は特別」という幻想を持つ
- 自分の期待を相手に押しつける
- 相手の失敗を受け止められなくなる
さらに進むと、
「自分がこの人を育てた」
という自己愛的な支配や所有感覚に変質することがあり、非常に危険です。なぜなら、本来は「相手の成長」を支えるはずの支援が、いつの間にか、
“支援者自身の理想や自己満足”
を満たすものへ変わってしまうからです。
実は、相談者側にも危険がある
これは相談を受ける側にも同じことが言えます。相談者が、「この先生なら絶対に救ってくれる」「この人の言うことは絶対だ」という状態になってしまうことがあります。すると、
- 自分で考えなくなる
- 批判的思考を失う
- 過度に依存する
- 相手の顔色ばかり見る
- “正解”を求め続ける
という状態に入りやすくなります。
両者が「ほれこみ」の中に巻き込まれると、「支援関係そのものが“幻想”に飲み込まれる」危険があるのです。
では、ICIが考える「慈愛(コンパッション)」とは
ICIでは、この「ほれこみ」そのものを否定するわけではありません。
他者の中に価値や可能性を見出す力
として、非常に重要なものだと考えています。人は、誰かに“惚れ込む”からこそ、
- 学びたい
- 近づきたい
- 成長したい
- 支えたい
と思えることがあります。しかし、そこで止まってはいけません。重要なのは、
「理想化」から「尊重」へ成熟すること
です。
「慈愛」は、「ほれこみ」を超えた共感
ICIでは、慈愛(コンパッション)を、
相手を理想化するのではなく、相手の苦しみ・可能性・尊厳に責任を持って向き合う態度
として考えています。それは、「この人は素晴らしい」ではなく、「この人には弱さも未熟さもあるが、その人固有の可能性と尊厳を大切にしたい」という姿勢です。
本当の支援は、「この人は特別だ」という幻想に浸ることではありません。相手を神格化せず、所有せず、自分の理想を押しつけずに、
相手がその人自身として生きていけるよう伴走する
ことです。
ICIが目指す対人支援
ICIでは、共感をとても尊重していますが、共感だけでは不十分だと考えています。
共感は、ときに巻き込まれます。
共感は、ときに依存を生みます。
共感は、ときに「ほれこみ」に変わります。
だからこそ必要なのが、慈愛です。
慈愛とは、
相手を理想化せず、それでも相手の可能性を信じ続ける力
です。
そしてそれは、
「救ってあげたい」という欲望を超え、
相手の人生を相手自身へ返していく営み
でもあります。
対人支援とは、相手を自分の理想へ近づけることではありません。相手が、相手自身として生きられるよう支えること。そのための「慈愛」について、これからも探究していきたいと思います。
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