2025年;クマとの競存を考える
—“人里に出る理由”とこれからの向き合い
最近、各地で「クマの出没」が報じられていますね。、関西でもクマの出没がニュースになっています。クマの出没が増えている背景と、私たち人間がどう“競存”していくか? 少し考えてみました。お茶でも飲みながら気軽にどうぞ。

今年のクマの出没は異常に多い?
今年、2025年春〜秋にかけて、国内各地でクマの目撃や被害件数が例年を大きく上回っており、4月から9月の出没件数が2万件を超え、死亡者も12人と過去最多ペースとのこと。主要な食料であるブナやミズナラの実が不作なため、クマたちが山から降りてきた。そしたら、人里には高カロリーでおいしい食べ物が簡単に手に入る環境が広がっていることをクマたち知ってしまった。この環境要因の偶然の重なりが、クマたちを行動変化へと導くことになりました。否応なく人の生活圏とクマの生存圏が重なってしまい、結果的に多くのトラブルを引き起こしているのだと考えられます。
“成功体験”がクマを変えていく
クマは非常に学習能力の高い動物です。一度「人里でおいしいものが見つかった」という経験をすれば、その成功体験をしっかり記憶します。そして翌年も同じ行動を繰り返す──つまり、「人里=餌場」という構図が学習によって強化されていきます。また、山中で飢餓などの生存危機を経験した子グマは、リスクの低い道=人里を選ぶ傾向が強化されたり、人里で母グマを失うトラウマを生じるなどの「学習」と「恐怖の記憶」は、その個体の行動様式に深く影響し、ある意味で“新しい野生の適応戦略”を形づくります。
エピジェネティックな視点で見えてくるもの
近年、注目されるエピジェネティクス(後天的遺伝)の観点から見ても、これは興味深い現象です。
哺乳類では、母子の関係や環境ストレスがDNAのスイッチをオン/オフして、ストレス耐性や行動特性が変わることが確認されています。野生のクマにこの現象が起きているとすれば、「母を失う」「人里で餌を得る」といった経験が、その個体の神経系や行動遺伝子の発現に長期的な影響を与え、これが世代を超えて伝わる可能性があるかも知れません。
これは、成長そのものであり、「環境の変化を生き抜くための適応が、個体の学習と遺伝的可塑性の両面で進む」という進化のリアルな一面だといえるでしょう。
「山へ押し返す」ではなく、“共に設計する”
クマにとっての「進化」を視座に据えると、「クマを山へ戻せばよい」という発想だけで解決できる簡単な問題ではありません。山に食べ物が少なく、人里が安全で豊かであれば、クマにとっては“戻る理由”がありません。そこで、人間は、「追い払う」ではなく「賢く距離を取って共に生きる」方策を考える必要があります。
ごみや果樹など「誘因」を徹底的に減らす。
クマに「人里は割に合わない」と学ばせる。
地域が一体となってデータに基づく管理を行う。
といった“学習阻止と環境デザイン”の両輪が、クマとの安全距離を保つ鍵になります。──「競存〔→ 相互理解 → 共鳴 → 共生 → 共創〕」のかたちです。
偶然を進化に変える生態系の知と考える
さて、クマの出没問題を「自然のリスク」としてだけでなく、「進化のひとコマ」として見ると、全く違う風景が見えてきます。
「偶然に起こる出来事の重なりが新しい秩序を生む」というコンティンジェンシー理論によれば、ブナの不作という生態系の変化、山中から人間社会への拡張、クマ自身の高い学習能力、これらが偶然重なった時、クマは新たな行動様式を手に入れるという「環境に応答する偶然の必然」が起こりました。そこには、クマが「たまたま」見つけた人里の餌場は、単なる事故ではなく、「生態系が新しい適応を見つける瞬間」といったセレンディピティ(偶然の発見)の視点もあります。
これは、生命が遭遇する環境を応じて、新しい方向性を模索していく進化の本質です。
ここで思い出されるのがライアル・ワトソン氏が提示した“100匹目のサル”の現象です。ある行動を取る個体が一定数を超えると、その学習が群れ全体、そして離れた群れにまで一気に広がる――そんな象徴的なエピソードです。後に、このエピソードは捏造だと言われていますが、ワトソン氏の考え方はなかなかの慧眼だと思います。
もし“人里で生き延びる術”を身につけたクマが、ある閾値(しきい値)を超えて増えたとしたら、彼らの行動そのものが進化的な転換点となり、この“偶然の発見”が個体群の閾値を超え、行動様式や遺伝的傾向として固定化され、まさにエピジェネティックな進化が起こっているといえます。一つの種が、環境との関わり方を変え、世界の在り方そのものを少しずつ変えていく。この過程こそが、生命の大きな成長プロセスといえるでしょう。
クマとの競存
「クマと競存する」というテーマは、自然や防災の話であると同時に、人と自然が共に成長していく物語でもあります。
偶然から始まる変化が、やがて進化へとつながる。それはクマだけでなく、私たち人間の生き方にも重なるプロセスです。
“山へ押し返す”のではなく、“新しい関係をデザインする”。そこに、未来の森と人とのあたたかな「共生」が見えてくるように思います。


