教えてもらう心と学ぶ心 ― 先生徒のまなざしから

私たちは日々、さまざまな場面で「学び」と出会います。そのとき心の中には二つの扉があるように思います。一つは「教えてもらう心」、もう一つは「学ぶ心」です。

「教えてもらう心」とは、外から与えられるものを素直に受け取る姿勢です。そこには謙虚さや信頼があり、相手に委ねる柔らかさがあります。子どもが先生の言葉を真っすぐ吸い込むように、私たちは誰かを通して知識を受け取ります。この心がなければ、新しい世界はなかなか開けてきません。

一方で、「学ぶ心」は自分の内側から湧き出す探究心です。与えられたものをそのままにせず、自分なりに問いを立て、試し、時には失敗を糧にしながら前へ進もうとします。「これはどういう意味だろう」「自分ならどう活かせるだろう」と考えるとき、学ぶ心が働いているのです。

この二つは似ているようでいて、大きく異なります。教えてもらう心は受動的であり、学ぶ心は能動的です。しかし、どちらか一方に偏ってしまうと、学びは不完全なものになります。受け取るだけでは依存に陥りやすく、自分だけで突き進めば独善に傾きます。

そこで大切になるのが、ICIが提唱する「先生徒(せんせいと)」という考え方です。人は誰もが先生であり、同時に生徒でもある。与える側と受け取る側が入れ替わりながら共に歩む姿勢が、学びを豊かにしていきます。つまり、教えてもらう心と学ぶ心の往復運動は、「先生徒」としての生き方そのものなのです。

まずは教えてもらい、次に自分で試し、また新たな問いを持って誰かに尋ねる。その繰り返しが呼吸のように続くとき、学びは単なる知識の獲得を超え、私たち自身の智慧へと変わっていきます。

教えてもらう心と学ぶ心。そして先生でもあり生徒でもある私たち。二つの心とその往還を大切に抱きながら歩んでいくことが、学びの旅をさらに豊かにしてくれるのではないでしょうか。

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