“エンパス”と“マインドセット”
——共感しすぎる人。成長の扉をひらく視点

11月から、Denの読書会ではキャロル・ドゥエック著『マインドセット』を取り上げ、メンバーとゆるやかに読み解いています。
「あぁ、自分の思考のクセってこういうことか」と静かに気づきが起き、さらに話題が広がって、「エンパス」という言葉が話題になりました。
エンパス(Empath)とは、サイコパスと対になる言葉だそうです。一般にはまだ広く知られている言葉ではありませんが、他者の感情を敏感に感じ取り、まるで自分のことのように受け取ってしまう人のことです。
対人支援の世界を見渡すと「エンパス気質を持つ人は意外と多いのでは?」と感じる瞬間があります。優しい人、聴ける人、寄り添える人。そういう人ほど相手の痛みを胸の奥まで招き入れ、ときに休むことも忘れてしまう。とても親近感のある概念かもしれません。
しかし…ここに私なりの仮説がひとつあります。
「真の意味でのエンパス」は、実は思うほど多くないのではないか。むしろ、相手の感情を抱え込みすぎる背景には——防衛、過剰適応、生き延びるための自己防衛と自己承認欲求の回路が働いている場合がある…。
そんな状態を表すのに、少しユーモラスな「共感バカ」という言葉があります。バカ、というと強い響きですが責めたいわけではありません。むしろ愛着を込めて。「共感できる私であろう」と必死に無意識で頑張ってしまう健気な姿。その奥には「嫌われたくない」「役に立ちたい」「傷つきたくない」——そんな守りのメカニズムが潜んでいることが多いのです。
『マインドセット ―「やればできる!」の研究』(キャロル・S・ドゥエック)
一方いま読書会で扱っている『マインドセット』は、能力に対する信念のパターンを示した本です。「才能は生まれつきで決まるのか?」という問いに対し、著者のドゥエック教授は心理学の研究から明快に示します。
固定(Fixed)マインドセット
- 失敗したら価値が下がる気がする
- 評価が気になり挑戦が怖くなる
成長(Growth)マインドセット
- できないは「まだできない」
- 失敗も学びの一部として扱える

意味はシンプルですが、その効力は深い。ただの考え方の違いではなく、行動・挑戦・人間関係・キャリア形成にまで影響する心の習慣だということを丁寧な事例と共に教えてくれる名著です。
「能力は変わる」と信じられると、心は驚くほど軽やかになりますよね。
この世界で生きる私たちに必要なのは、きっと後者。「みんなで成長型マインドセットを育てよう」。それが読書会の合言葉のように響いています。
なぜ、“エンパス”と“マインドセット”を同じ文脈で語るのか。
一見遠いようでいて、この二つには“外側に軸が置かれている”という共通の特徴があります。
- エンパス:他者の感情に左右され、必要以上に抱え込む
- 固定マインドセット:評価や結果に縛られ、挑戦が萎縮する
方向は違えど、どちらも「外の声が自分より強くなる」状態です。
インテグラルキャリアの観点では、これは発達のプロセスとして自然に起こりうる段階。責める必要はありません。むしろ、“停滞のサイン”としてそっと教えてくれているのかもしれません。このような停滞を私たちは“影”の部分=シャドーとして扱います。
では、どこへ向かうと良いのでしょう。
主体性(自分の軸)と関係性(他者との境界と共感)。その両方を育てていくこと。
対人支援者が疲弊せずに在り続けるには、相手の世界に寄り添いながらも、自分の心を手放さないことが大切です。共感が深まっていくほど境界は柔らかくなる一方、境界が消えると自分が溶けてしまう——その微妙な間合いこそが熟達の領域です。
成長マインドセットが育ってくると、「失敗しても大丈夫」「境界線を引いても嫌われない」「私は変われる」という内的な安心感が生まれます。するとエンパス的過剰な受け取り方や、共感バカ的な防衛の過剰は、少しずつ静まっていきます。
それは、優しさを手放すことではありません。むしろ、優しさに筋が通る瞬間。
エンパスも固定マインドセットも、人が成長していく途中でふと立ち止まる地点のようなものです。自分を責める必要はありません。
ただ、自分の外に預けていた軸を、ゆっくりと内側へ戻していく。そのプロセスをコミュニティで、読書・対話・探究を通して、共に歩んでいきたいと思います。
成長マインドセットを携え、共感のバランスを学びながら一人ずつの歩みが、すこしずつ軽やかに前へ進みますように。
キャリアは働き方の話ではなく、生き方のデザインです。


