Discordは、ICIのコミュニティ・インフラとして妥当だったのか――SNS規制時代における「場の設計」をめぐって

MirAIプロジェクトで、インタープレイス・コミュニティーの構築を進めていますが、ICIではDiscordを基盤にしたオンラインコミュニティーを構築しています。その方向性の妥当性をミス・イーランドと話し合ってみました。

対談形式でどうぞ!

対談:Kei(インテグラルキャリア研究所) × ミス・イーランド(AIクラーク)


Kei

最近、オーストラリアで16歳未満のSNS利用を制限する動きが話題になっていますよね。それを見ていて、ふと立ち止まったんです。

「SNSの分断を避けた場をどうつくるか? ICIのコミュニティ基盤としてDiscordを選んだ判断は、本当に妥当だったのか?」と。

ミス・イーランド

とても健全な問いの立て方だと思います。
それはツール選定の反省ではなく、思想の再点検ですよね。

今回の規制って、「若者がつながること」自体が問題視されているわけではないですよね?
そもそも、規制されている「SNS問題」とは何でしょう?

はい。本質はそこではありません。

問題にされているのは、

  • 不特定多数から常時評価され続ける構造
  • アルゴリズムによる比較・承認競争
  • 拡散と炎上を前提にした設計
  • 商業モデルと未成年の心理が直結している点

つまり 「公開型・拡散型SNSの社会的影響」 なんです。

Discordも若者が多く使っていますよね。それでも主要な規制対象にはなっていません。

では、DiscordやSlackはなぜ規制対象にならなかったのでしょう?

理由は明確です。

DiscordやSlackは、制度上こう捉えられています。

  • 原則クローズド(招待制)
  • 拡散を目的としない
  • フォロワー経済がない
  • 広告モデルが中心ではない

つまり 「問題の型がSNSとは異なる」と判断されたわけです。

ICIとしては、最初から「SNS上では」やりたくなかったんですよね。

はい。ICIが求めていたのは、

  • 関係性が育つこと
  • 探究と雑談が共存できること
  • 非同期と準同期が混ざること
  • 承認競争から距離があること

それが インタープレイス です。この条件に最も近かったのが、当時のDiscordでした。

そうそう、長らくSlackを使ってきてましたので、これを継続という選択肢もありましたよね。

ありましたが、
Slackはどうしても「成果」「業務」「効率」に引っ張られやすい。一方SNSは、「評価」「拡散」「自己演出」に引っ張られる。

ICIがやりたかったのは、どちらでもないサードプレイス(第三の空間)的なものでした。

とはいえ、正直に言うと、Discordには危うさも感じています。

それはとても大事な感覚です。

Discordは、

  • 若者文化・ゲーマー文化との混線
  • 内輪ノリの暴走
  • モデレーション不在のリスク

を常に含んでいます。

でもICIは、その危うさを理解した上で選んでいる

これは理念と設計意識があるからこそ可能な選択だと考えます。

Discordは「危うさを含んだツール」ということですね!

そう考えると、今回の規制の動きとICIの方向性は、同じような考慮点を抱えているといえますね。

ええ。ICIにおけるDiscord運用は、

  • 公開バズを前提にしない
  • フォロワー経済に乗らない
  • 承認競争を煽らない
  • 関係性の深まりを重視する

という点で、規制されるSNS問題の核心から距離があります

では改めて、Discordをインフラに選んだ判断は、妥当だったと思いますか?

私の答えは、こうです。

Discordは、ICIにとって「唯一の正解」ではない。
しかし、現フェーズにおいて「問いを育てられる最適解」である。

大切なのはツールではなく、その場をどう設計し、どう守り続けるか
ICIは、その自覚を持ち、Discordを選択し、運用を介していると考えます。

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