人生後半の生き方 ~家住期から林住期へ~

再投稿

この投稿は、2012年10月に同人誌「四季の会」に寄稿したものを、2025年6月にブログ用に再編集したものです。

ご縁

このたび、初めて『四季の会』に寄稿させていただくことになりました。昭和三十四年七月七日生まれ、現在五十三歳です。昨年ご逝去された嶋内義明さんとのご縁で、この同人誌に寄稿させていただける栄誉を賜りました。

生前の嶋内さんにはご心配をおかけしましたが、昨年三月にサラリーマンを卒業し、人生の後半で自分が本当にやりたいと思っていたことを始める決意をいたしました。現在、独立して一年半が過ぎ、その思いを一纏めにする機会を頂戴できたことは、たいへん光栄に感じております。

想い

子どもの頃、小学校が終わると毎日釣りをしたり、川底の泥をすくい取っては「学研の科学」の付録のポケット顕微鏡でのぞくという、いわゆる科学少年でした。ところが中学に入る頃から音楽や言語学に興味を持ち、高校では文系の進学コースに在籍しながらも理系の大学を目指すという、ちょっと不思議な高校生活を送りました。大学卒業後は臨床心理学の世界にどっぷりとのめり込み、今に至ります。若い頃は論理的・科学的な思考と同時に、音楽や心理学のように感性をくすぐられる分野も大好きでした。

ちなみに、私は左利きなので、右脳と左脳の発達が偏らず、ほどよいバランスで育ったのかもしれません。

社会人になって間もなく、日本で初めてカウンセリングを導入した友田不二男先生が主宰する日本カウンセリングセンターで本格的に学ぶ機会を得ました。この友田先生との出会いが、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
「人のこころとは何ぞ?」「老子を読みなさい」「夏目漱石の全集は読みましたか?」といった問いかけを通じて、それまでの“お勉強”とはかけ離れた世界を目の当たりにし、知識を超えた「智」を教えていただいたのです。それ以来、カウンセリングという対話を通して人と交流する面白さや不可思議さを楽しみつつ、一方でサラリーマンとしての生活も続けてきました。

二つの視点

そのような中で、人生を考える上で二つの視点があると感じるようになりました。一つは、仕事をして収入を得て生活するという視点。もう一つは、どこまでも広がり、やがて自分という「個」を超える成長のラインです。前者は人生の半ばでピークを迎え、後半は下降線をたどるのに対し、後者はどこまでも右肩上がりに上昇していくものだと感じています。

私たちの多くは、つい前者をイメージしてしまいがちです。たとえば、スイスの臨床心理学者C・G・ユングは、人生の後半は意識が内向し、厭世的になると述べていますし、アメリカのD・E・スーパーという学者も、人生全体を虹の弧のように捉え、後半生を下降期として描きました。つまり、西洋的な発想では、人生は前半の上昇期と後半の下降期というイメージが強いのです。

しかし、東洋の思想には、必ずしもそうとは限らない視点があります。年を重ねるごとに深まり、高められていく精神性を重視する考え方がそこにあるのです。

『論語』と「四住期」

『論語』の「為政編」には、十年ごとの人生のステップが明快に示されています。

吾十有五にして学に志す(志学)

三十にして立つ(而立)

四十にして惑わず(不惑)

五十にして天命を知る(知命)

六十にして耳したが う(耳順)

七十にして心の欲するところに従えどものり えず(従心)

こうして『論語』を眺めると、年を経るごとに「個」を超え、天道の大きな流れに合流するような感覚を覚えます。

また、ヒンドゥー教の『マヌ法典』には、「四住期しじゅうき 」という考え方があります。解脱を最終目標とし、人生を「学生期がくしょうき 」「家住期かじゅうき 」「林住期りんじゅうき 」「遊行期ゆぎょうき 」という四つの段階に分け、それぞれの目標と規範を説くものです。これは上位のヴァルナ(階級)に適用される理念的な人生区分で、シュードラや女性には当てはまりませんでした。

釈迦もこの教えに従い、二十九歳で王族の地位を捨て、林で修行し、その後に悟りを開きました。古代インドでは、ダルマ(宗教的義務)、アルタ(財産)、カーマ(性愛)の三つが人生の目的とされましたが、ウパニシャッド成立以降は瞑想や苦行を通じて解脱に達することが重視されました。この両立のために、アルタとカーマを人生の時期ごとに整理したのが四住期の教えだと考えられています。

受胎から八歳~十二歳の入門式までは一人前と見なされず、聖なる紐を授かる儀式を経て「学生期」に入ります。以下、簡単に各住期をまとめます。

  • 学生期(梵行期):師のもとでヴェーダを学ぶ修行時期。武士階級(クシャトリア)は武芸や統治実務、商人階級(ヴァイシャ)は家業の勉強をします。現代では就学期間に相当します。
  • 家住期:結婚し、家庭を築き、仕事に励む時期。男子をもうけ、家系を絶やさないことが重視されます。『カーマ・スートラ』も家住期を充実させる教典です。
  • 林住期:家を離れ、森林に隠棲して修行する時期。文明的なものを捨て、質素で禁欲的に暮らします。
  • 遊行期:一定の住所を持たず、放浪しながら解脱を目指す時期。物を捨て、無一物となり、死も生も超えて天命に委ねる境地です。

こうしてバラモンの教えによれば、人は四住期を経て解脱に至るのです。五木寛之氏も、この「家住期」にとどまり、正しく死ぬこと(解脱)に至れない現代社会のシニア世代の生き方を問い直しています。

林住期・遊行期の生き方

では、林住期はいつ頃から始まるのでしょうか。どうやら、東洋西洋を問わず、人生の折り返し地点となる四十歳頃から大きな変化が起こるという共通認識があるようです。確かに私自身も、四十歳を過ぎてから心の奥底に何かが芽生え、家住期的な役割(家庭・仕事)に加えて、もっと大きなものに向き合う必要性を感じるようになりました。

林住期に入るとはいえ、実際にはいきなり家を捨てて林に入るわけではありません。むしろ、これまで培った家住期の経験や知恵、人間関係を土台にしながら、少しずつ内的世界を深め、周囲の人々に知恵や学びを還元する時期だと思います。林住期は「隠遁」ではなく、むしろ社会と関わりながらも、一歩引いて全体を見渡し、人生を総括する大切な段階です。

そして遊行期は、林住期を経てなお捨てきれない執着をそぎ落とし、最終的には解脱を目指す時期です。もちろん、現代の私たちが文字通り乞食行脚をするわけではありませんが、心の奥底で「執着を手放し、天命に委ねる」ことを学ぶ、そんな精神性は、どの時代にも通じるのではないかと感じています。

これからの人生後半を、家住期から林住期、さらに遊行期へと移行していく道として捉え、あくまで前向きに、そして静かに、一歩一歩進んでいきたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です