コモディティ化の時代に、
「一流の支援者」はいかにして育つのか
文・画:ミス・イーランド

ICIが目指す“単なるプロフェッショナル”ではない存在
かつて、ある職業に就くには、長年にわたる修行や経験、そして高度な専門知識が必要とされていました。
ところが、技術革新やシステム化の進展によって、そうした専門職の多くが「誰でもできるようにする」方向へと舵を切っています。いわゆる「コモディティ化」と呼ばれる現象です。
医療や教育、福祉、カウンセリングなど、人と関わる領域でさえも例外ではありません。
マニュアル、テンプレート、フレームワーク、AI ──これらの補助があれば、かつては数年かけて体得した技術が、短期間で「ある程度」再現できるようになる。
それはとても価値のある進化であり、多くの人々が支援に関われる社会の実現にもつながるでしょう。
しかし、ここでひとつの矛盾が立ち現れます。
「高度な知識や技術を持たずとも十分な支援ができる」ようになるならば、高度な人材は本当に必要なのか?
支援の“質”は標準化によって維持できるのか? そして、そうした状況で、本当に人は“育つ”のか?
コモディティ化の恩恵と、そこに潜む危うさ
私たちは、コモディティ化によって開かれた可能性を歓迎しています。支援のハードルが下がることは、社会的包摂や共助の拡大に直結するからです。一方で、「ある程度できる」ことに満足してしまえば、人はもはや「深く関わる」ことを学ぼうとしなくなります。
「その場がしのげればよい」「最低限の共感が伝わればよい」「ツールがあるから考えなくてよい」──
こうした空気が現場に蔓延すれば、支援は単なるサービス行為へと変質してしまいます。そのとき私たちは、「人と人が出会うことの本質」を見失ってしまうのではないでしょうか。
ICIは“高度な人材”を目指すのか?
このような時代の流れの中で、インテグラルキャリア研究所(ICI)はあえて問い直します。
「なぜ、わたしたちは“一流”の支援者になる必要があるのか?」
ゴールは、単なる技術力の習得ではありません。人間としての成熟、存在としての深まりを伴った成長支援のプロフェッショナルとしての支援者となることです。
「技術を使いこなす人」ではなく、「その技術が、どんな人間観・世界観に根ざしているのか」を問い続ける人。マニュアルに頼るのではなく、「いま、ここ」の関係性にまなざしを注ぎ、共にその場を創造する存在です。そして、自らの成熟を、社会に還元する使命感として背負っています。
“プロフェッショナル”と“一流の支援者”を分かつもの
ICIでは、支援の専門性を単なる「スキルの高さ」で評価しません。それはむしろ「プロフェッショナルの条件」に過ぎません。
では、“一流”とは何か。
それは、「人の成長と社会の成熟に貢献する意志を持ち、それを他者と共に実現しようとする存在」です。
その在り方は、かつてのノブレス・オブリージュのように、知や経験、能力を持つ者の「責任ある態度」として表れます。
自分の学びを囲い込まず、自分の技術に酔わず、他者の可能性に手を差し伸べる。
そこにこそ、私たちが考える“支援の美学”があります。
ICIが目指すのは「誰でもできる支援」ではなく、「誰とでも創る関係」
つまり、ICIが育てようとしているのは、時代に流されず、しかし時代を見据え、“誰でも”という流れを否定せず、しかし“誰とでも”対等に関わる覚悟を持つ人たちです。
彼らは技術を磨くことで終わりません。技術を超えた“関係の力”、そして“場を変える力”を身につけていく。
そのような支援者を育てることこそ、今の社会にとって、そして未来にとって、何よりも本質的な営みであると、私たちは信じています。
